日本の”いろ” 展 

日本のーいろー展2015    デザインを日々の生活に。

フィンランドにて日本の現代工芸作品を紹介から始まった展示の第五回目の展示に参加します。
フィンランド、日本と交互に展示が行なわれ、東慶寺では2回目の展示となります。

日本を代表する漆・竹・畳などの自然素材を用い、昔ながらの生活用品、
工芸品、家具などをデザインにより、日本の“いろ”を再認識させる展示となります。

北鎌倉「花の寺」として知られる東慶寺では様々な花を楽しめます。
また、小林秀雄、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙など有名、著名の方々の墓地でもあります。
ギャラリーは無料ですが、東慶寺への入山については入山料が別途必要です。

ギャラリーは入り口よりすぐ右手 建物2階です。



日時:2015年3月7日(土)~15日(日)10:00~17:00 月曜定休
場所:東慶寺ギャラリー 2F
入場料:無料    ※境内入山料別途
企画制作:orihinuk
協力:TRIAND lnc.
後援:松岡山東慶寺

出展メンバー

十時 啓悦 (武蔵野美術大学教授 / 木材漆芸作家)
井生 文隆 (山口県立大学教授 / プロダクトデザイン)
林  宏  (漆芸作家)
太田 邦宏 (orihinuk代表 / 家具・プロダクトデザイン)
塩見 未来 (ema design代表 / テキスタイルデザイン)
千葉 照子 (美術家 / 絵画)
平川 和明 (LB FURNITURE WORKS / 家具職人)
中谷 昭子 (九州造形短期大学 造形芸術学部 助教)
藤本 雄策・平田 茉衣 (845代表/ 木工作家・イラストレーター)

アクセス

JR横須賀線 北鎌倉駅から徒歩4分
※ 車でお越しの方は、お近くのコインパーキングをご利用下さい。

東慶寺ギャラリー&ショップ 
神奈川県鎌倉市山ノ内1364 TEL:0467-50-0460
http://tokgallery.exblog.jp/



見ること 1

note4「よく見ることは細かく見ることではない」デッサン経験者は色々な言葉を皆、心に刻み付けています。写真家の方と話していて、見ることへのこだわりに驚かされたことがあります。自然光のみで撮影されるその写真家は早朝より準備を整え、刻々と表情を変える光を捉える。ストロボの調整をするのではなく自然光に合わせてカメラを調整していく。とても面倒くさく時間のかかることだと感じました。しかし、出来上がった写真には私が見ていなかった作品の姿がありました。機材の発達で誰にでも写真が撮れるようになっても、見ることをおろそかにしては、決して撮れない写真があることを知る機会でした。

もったいない

note6外食で何より困っていることは「もったいない」が勘違いされて、割り箸を置いていない店が多くなり、その代わりに樹脂で出来た箸が置いてあることです。奈良吉野で割り箸を取材した時に、杉の柱の端材で箸を作る工程を見せてもらいました。利休箸も桶等を作る材料の端材で作られていました。海外からの輸入した箸は丸太一本をすべて箸にしてしまうと聞いています。日本産の割り箸を使うことは森を守る活動であり、外国産の箸を使うことは森林破壊の片棒を担ぐことになる。ではどうすればよいか。

良い材料で出来た箸は美しい姿をしている。

美しいと感じる割り箸のみ使うことにしてみよう。外国産の利益を追求した箸は美しくなく、 樹脂の箸を口に運ぶ姿もまた、美しくない。美やデザインを基準に選択し、生活することが、森を守る活動になったり、廃棄物を生み出さないことにつながっていると考えられるし、なにも難しいことを考えなくても、美しい箸で食べるご飯はなによりおいしい。

インタープレイ

note10ジャズ用語にインタープレイという言葉がある。ビルエバンスのアルバムで聴く事の出来る、ベース、ピアノ、ドラムが主、従の関係ではなく対等の演奏、自由に和音やリズムを感じながら音を重ね合わせていく演奏。私も、料理、花、空間とのインタープレイをしていきたい。決して脇役としての器ではなく、お互いが引き立て合っている関係。制作においても技術を見せすぎると素材の良さが引き立たなかったり、木の素材感を見せすぎると、お腹いっぱいになることもある。駆け引きをしながら、空間に心地よりリズムを刻みたい。

デザイン

note5

学生の時、漠然とデザインやデザイナーという言葉にあこがれていたはずなのに、大学で学んでいる間に芸術、アート、デザイン、コンセプトなどという言葉に嫌気がさしていました。古い漆椀に美しさを感じた時に、それがデザインされているとは感じませんでした。誰かが作ったということも頭にはなく、ただそこに美しい器があるということだけが浮かび上がったのです。デザインやデザイナーの存在が消えて、当たり前のようにそこにある形。そのためには、あらためて、デザインする事、観察し、考察することが必要に感じます。デザインという言葉の意味が設計や計画ということを考えたとき、デザインするということがこれから、もっと必要で大切なことだと考えています。

 

 

note9感動を感動のうちに感じ尽くすような生活をしていないと気がついたころから、もっと思考する一歩手前で、すでに感じている部分を大切にしていきたいと思うようになっています。木や漆を使って制作することは、手触りや匂、音を感じながら制作する心地よさがあり、それは使うときにも、器同士のぶつかる音、手触り、など、見る以上の情報量で心地よさを感じさせてくれる素材です。

note8大学で指導する機会に恵まれ、若い学生に木工や漆を教えている。ある時のテーマは「カレー皿とスプーン」 短い授業の中で、学生にも負担であることを承知ながら、出題しました。口の中に入れる匙は機能が実感としてわかりやすい。匙を作るのは小さいのに手間がかかります。その苦労もあってか、使う側にとっては、手に入れると手放せないものになるはずです。特に漆器と組み合わせる匙は金属では傷がつくので木の匙しかありません。口に入れた時の優しさ、軽い事、カチャカチャ嫌な音がしない事など、手にしてみてわかる心地よさです。

note7あいまいな素材にあふれた現代の生活空間に、木や漆といった素材があることで、人の心に豊かさや、やすらぎが生まれているのだと、物を作りながら感じています。しかしその存在は、さりげなくあればいいのですが、ことさらにその存在感が全面にでてくると、とたんに居心地が悪くなってきます。一つの物が空間の中で存在感を主張しすぎることに違和感を感じます。

ちゃぶ台

note2学生がちゃぶ台を作った。古いちゃぶ台を観察し、自分の生活と照らし合わせて、新しいデザインを考えていた。考えれば考えるほど、その完成された構造と形に新しいデザインの余地がないと気が付いた様子だっだ。しかし学生が作ったちゃぶ台はちゃんと現代のちゃぶ台に仕上がっていた。ほんのわずかな足の形、幕板や天板の厚み、面の取り方、足の構造が作り出す空間の形、その選択の積み重ねが、デザインなのだということ。 なんでもないちゃぶ台にはデザインの入る余地がないということよりも、デザインの可能性や新しい形へのヒントがあふれているということに、こちらが改めて、気付かされた。

note8お椀の形は昔から変わらないように思えますが、古い時代椀などの資料を見ると多種多彩ではあるもののやはりその時代を映す形をしています。現代のテーブルと椅子での生活では、さらに形は変わってきています。器を作り始めたころは、いい形とはなんだろう。お椀の決定版を作りたいと息巻いていました。今は少し力が抜けて、気持ち良く作りたいということと、お椀の形がどうこうというよりは、器があることで、そのまわりに心地よい空間がうまれることを目指しています。最近は何かを作ろうとする時、フォルムを追うのではなく、そのまわりの空間のたたずまいを意識して制作しています。

漆の色

note2

漆の色と言えば朱や黒を思う人は多いでしょう。初めて漆に魅力を感じたのは黒の鏡面でした。すい込まれる様な艶に、今でも魅せられますが、漆に実際触れて製作するようになってからは、朱色に魅力を感じています。作っていくなかで、不思議なのですが、どうしても朱色でなくてはいけない形があります。そんな時、形には色や文様が備わっているかのような気になります。おおげさかも知れませんが、色や形や文様がばらばらではなく、一体となって生まれてくるような時、それは私という個人の感性を超えたところで、生まれているような気がします。