「金継ぎ」 じゃない

 

darning

「金継ぎ」を教えて欲しいとよく聞かれます。金継ぎから漆を連想してもらえるのはありがたいくらいで、お手軽な金継ぎはエポキシで接着することだったりするようです。
 知り合ったデザイナーの佐久間年春さんは「漆繕い」と呼ぶことにこだわりを持たれていて深く賛同しました。デザイナーによる1本の線へのこだわりが感じられる繕いは美しく、じっくりと時間をかけて修繕した痕跡に時間の移ろいが感じられるのです。
 金継ぎは、漆はかぶれるとか、時間がかかるということで「漆継ぎ」ではなくなってしまっています。「金継ぎ」といっておけば、漆を使わなくてもいい免罪符となっているのでしょうか。金で接着しているわけではないのに「金継ぎ」と呼ぶことに違和感を感じていた時に「漆繕い」という言葉が、もやもやをすっきりと吹き飛ばしてくれました。

 「金継ぎ」を「漆繕い」と言いかえることは小さな抵抗かもしれない。それでもあえて「金継ぎ」という言い方をやめてみることから、なにか変わるような気がします。

 妻が子供の洋服をダーニングという繕いの技法で直し始めました。あと僅かな時間しか着れないその上着は、子供二人分の思い出に繕いが加えられ、お金では買うことの出来ないものとなりました。

 

みること 3

note6見ることについて気になっている。写真と絵画のちがいについて考える時、デビッド・ホックニーが始めた写真を部分で撮影してつなぎ合わせる手法を思い出した。写真によるキュビズムや、視点の動き、遠近法にも踏み込んで表現できたのは画家の視点、絵を描く視点があったからなのだと思う。気になって図書館でなつかしく画集を見ていると、ホックニーが写真的視点について研究している「秘密の技法」を知った。カメラ・オブスキュラや、カメラ・ルシーダ、レンズを利用して絵画を描いてきた歴史を研究した学術書だ。最近イギリスで開催されたA bigger picture という展覧会のカタログには大きなキャンバスいくつも繋げて野外で描くホックニーの姿と9台のモニターを繋げた画面に9台のカメラ映像として風景を描いている姿がある。カメラについての考察を進化させているように思う。日本への巡回展があれば、久しぶりにホックニーの絵と映像を見てみたい。

みること 2

note102つの目で見て、それを平面上に描き、再度2つの目で見ること、それはなんの仕掛けもいらない3D体験であるということに気がついている人が少ないことに、友人と話をしていて気がつきました。多少の誤差はあれ、作者と同じ2つの目の視点に立ち、見るからこそ、立ち上がり、広がる世界があるということ。だからこそ、絵画はオリジナルでなければ体感できない。もっとも作者が両目でよく対象を見ている条件での話ではあります。ステレオ写真を裸眼で見ることも出来ます。見えた時の驚きこそあれ、その体験は薄い立体感でしかなく、ましてや写真をトレースした表面的な絵では全く表現できないことなのです。絵画の前に立ち、作者の視点で追体験する時に見えてくるものがあるということ。絵画の鑑賞法にきまりはないのですが、作者の目線で追体験することと、少し離れた位置から絵画を眺めて、絵に向かう作者の姿を思い描く目線で見るのも好きな鑑賞法です。そんなことを考えていると、写真家の視点はどのようなものであるのかも気になっています。

漆かぶれ 猫の場合

mou01家で飼っている2匹の猫は仕事部屋には完全入室禁止となっていて、事有るごとに隙あれば忍び込もうと、日々狙われています。絶対に入れないという心構えは出来ているつもりでも、その隙を見事について侵入するのが猫です。最初に入ったのは白い猫。漆刷毛を洗うための油壺の中に尻尾をしっかり浸してから脱出したようで、朝起きてみると廊下に見事な一筆書きが描かれていました。 油と漆が混じったドロドロのしっぽに困っている猫を丁寧に石鹸で洗い、なんとか事無きを得ました。

on012回目は茶縞猫、仕事場のドアを厳重にしようと、試行錯誤している隙をつかれました。今度は漆とれたての原液を踏み破ってあふれた漆にしっぽがふれてしまった様です。今回は漆原液、しかも日本産の漆だったため家族には絶対近づかない様にさせて猫洗いから床掃除まで大変な騒ぎなってしまいました。猫の尻尾は半分漆が固まりかけていたので、毛を短く刈るしかありませんでした。しばらくして猫の尻尾は一部分すっかり毛が抜けて、焦りましたが、もりもりと毛が生えて立派な尻尾に戻りました。

漆が着いてしまった妻のお気に入りの麻のカーテンやシーツは漆作業用の布巾やウエスとなり一件落着?シーツやカーテンは買えるけど、猫の健康は売ってないということで、、、

妻に、そして貴重な日本産漆に、なによりも猫達に!!ごめんなさい。

漆かぶれ

note6

漆を扱うと、今でもかぶれます。一番最初に触れたときは全身が腫れましたが、今では付いたところだけがかぶれます。かぶれると、かゆみがあり、赤く腫れ上がり、しばらくたって、かゆみとともに腫れが引き、場合によっては皮が剥けて、つるつるの肌になっておしまい。掻いたりしなければ痕になったりすることはない。化学塗料や接着剤などによるかぶれはそうはいかない。漆のかぶれは何か交渉の余地が残されている様な気がするのです。

かぶれないために一番良いことは漆に触れないことですが、体調を整えることも大切です。お酒を呑まないこと(血行が良くなると痒い)、油膜で皮膚をガードすること、例えば日焼け止めやファンデーションを塗ることである程度効果があるように思います。漆を塗ってみたいということであれば、どんどん仕事をすることを薦めます。適度に美味しいお酒も。ある程度日常的に漆と関わっているとかぶれにくいような気がします。そして漆を扱っている人の肌はきれいな人が多いような気がします。

 

菜箸

saibashiお箸に気を使っている人はいても、料理で使う菜箸にこだわりがあるという人は少ないのではないでいしょうか。中国で箸の調査する機会があり、工場で目にしたのは持ち手が錦色のよく見る竹の菜箸でした。全て日本向けに作られているという工場は、ウレタン塗料の匂いが充満する中、日本の漆器産地が書かれたダンボールの山に修められ、出荷の準備を待っていました。その光景を見て、すぐに菜箸を作るようにしました。料理のヘラも漆で使うヘラ木で作りました。消耗品だからこそ、少しずつ身体に取り入れている可能性もあるわけで、台所道具には心配りと、視線をむけてあげたいと思う。

製菓用ヘラ

matfer妻の製菓用、マトファーのパレットナイフが届いたので見てみると、持ち手の木部と金属部分とのコントラストがなかなか美しい。しかし手にしてみると持ち手は案外ザラザラとしていて、どうも持ち心地が悪いというので、サンドペーパーを掛け、漆を染み込ませ、溜塗りで仕上げると、それは手に吸い付くような感覚で、とても使いやすそうな道具になりました。ついでに金属のシフォンケーキヘラは型から外す時に金属同士こすれる音がするのが嫌だというので、専用のヘラも木で作り、漆で仕上げてみました。腕前はさておき、お互いにヘラがいかに大事かということや、やはり道具は美しくなくてはいけないということを確認しました。形から入るという言葉がありますが、道具の美しさにほれて、何かを始めるのも悪くはないことだと思います。

 

見ること 1

note4「よく見ることは細かく見ることではない」デッサン経験者は色々な言葉を皆、心に刻み付けています。写真家の方と話していて、見ることへのこだわりに驚かされたことがあります。自然光のみで撮影されるその写真家は早朝より準備を整え、刻々と表情を変える光を捉える。ストロボの調整をするのではなく自然光に合わせてカメラを調整していく。とても面倒くさく時間のかかることだと感じました。しかし、出来上がった写真には私が見ていなかった作品の姿がありました。機材の発達で誰にでも写真が撮れるようになっても、見ることをおろそかにしては、決して撮れない写真があることを知る機会でした。

もったいない

note6外食で何より困っていることは「もったいない」が勘違いされて、割り箸を置いていない店が多くなり、その代わりに樹脂で出来た箸が置いてあることです。奈良吉野で割り箸を取材した時に、杉の柱の端材で箸を作る工程を見せてもらいました。利休箸も桶等を作る材料の端材で作られていました。海外からの輸入した箸は丸太一本をすべて箸にしてしまうと聞いています。日本産の割り箸を使うことは森を守る活動であり、外国産の箸を使うことは森林破壊の片棒を担ぐことになる。ではどうすればよいか。

良い材料で出来た箸は美しい姿をしている。

美しいと感じる割り箸のみ使うことにしてみよう。外国産の利益を追求した箸は美しくなく、 樹脂の箸を口に運ぶ姿もまた、美しくない。美やデザインを基準に選択し、生活することが、森を守る活動になったり、廃棄物を生み出さないことにつながっていると考えられるし、なにも難しいことを考えなくても、美しい箸で食べるご飯はなによりおいしい。

インタープレイ

note10ジャズ用語にインタープレイという言葉がある。ビルエバンスのアルバムで聴く事の出来る、ベース、ピアノ、ドラムが主、従の関係ではなく対等の演奏、自由に和音やリズムを感じながら音を重ね合わせていく演奏。私も、料理、花、空間とのインタープレイをしていきたい。決して脇役としての器ではなく、お互いが引き立て合っている関係。制作においても技術を見せすぎると素材の良さが引き立たなかったり、木の素材感を見せすぎると、お腹いっぱいになることもある。駆け引きをしながら、空間に心地よりリズムを刻みたい。